まだ炎の輝きを遺した琥珀色の瞳が、揺らぐように遠くを見て。
うすい唇が響きの柔らかな、ひとつの名を紡いだ。
「……ほたる」
風に乗る声音は研ぎ澄まされた刃のようで。
寒くもないのにふと背筋が冷えた。
冷たい花 #01
その漢を初めて見たのは、箱根の宿場町だったと思う。
目の端に、春の花にも似たあざやかな色彩を捉えて、アキラは前を往[ゆ] く梵天丸の袖を引いた。
「梵、あれ」
時季外れの花と思ったのは、街道ですれ違った漢の黄金色の髪だった。
「あん?」
「あれ見ろよ。あいつ異人かな。オレ、あんな髪の色した奴初めて見た」
陽光に映える金髪を指して、アキラははしゃいだ声を上げた。梵天丸は背後に視線を遣ると、
「オレ様は昔一度だけ見たことあるぜ。そう、あれはオレが駒ヶ峯城を奪った年、オレの時代が始まった年だった!」
「もういい」
「待てコラ、まだ全部言ってねえだろ」
文句を言いながらアキラを追うと、今度は数歩先の土産物屋の軒下で立ち止まり、目を輝かせている。店内には色とりどりの民芸品が並べられていた。
梵天丸は苦笑した。そういえば、アキラを連れてこんな賑やかな街に来るのは初めてだ。鬼眼の狂に獅子も真っ青のスパルタ教育をされたアキラは普段はまるで可愛げがないが、
(こういう所は年相応なんだよな)
本人に言えば、きっと腹を立てるのだろうが。
梵天丸は寄木細工のからくり箱を眺めているアキラの背を軽く叩いて、
「おいアキラ、店覗くのは宿とった後にしろよ」
アキラは宿、という言葉にぱっと顔を上げた。
「宿に泊まるのか? てっきり今夜も野宿かと…」
「そりゃおめェ、せっかくの」
旅籠[ホテル] 街だぜ、と口に出しかけてから、梵天丸はやや不自然に二の句を継いだ。
「…宿場町だぜ?」
「………」
アキラの視線が微妙に冷たい。
「おめえもよ、宿とったら小遣いくらいやるから、ここの店でも他の土産物屋でも覗いてこいよ。ははは…」
「…ふーん。女買うんだ?」
梵天丸はぎょっと目を瞠った。
「こっ、子供が何つー言い方すんだ!」
全く、子供というのは一体どこでこういう言い回しを覚えてくるのか。
「いいぜ別に。オレみたいなお子様がいちゃ邪魔なんだろ?」
唖然とする梵天丸を尻目に、彼は街道の角で待つ狂を追った。
旅籠の場所だけ確認すると、アキラは直[す] ぐに来た道を引き返した。土間の辺りまで女たちの香の匂いがして不快だった。
梵天丸からせしめた小遣いでは到底手が出ないのは判っているが、さっきの店にあった小箱や、珍しい細工でも眺めて時間を潰す方が余程いい。
狂と梵天丸の強さに憧れはするが、殊[こと] 女に関する点だけは、アキラは理解しかねた。
店内に足を踏み入れた瞬間、その存在には気がついた。
色素のうすい金色の髪。緋の鎧の上に、長く編んだそれが垂れている。
アキラの視線に気づいたか、彼は入り口を振り返った。
(…さっきの奴だ)
髪の色に近い、琥珀のような虹彩がひどく印象的だ。
男にしては華奢な白い左手が、件[くだん] の小箱に触れていた。
「あ」
思わずアキラは声を上げた。
「…なに?」
「あ、いや…それ」
琥珀の瞳がすいと反れて、再び手元に移った。
「これ? キレイだよね」
「う、うん」
漢は奇妙におっとりした口調で、
「アンタ、これ欲しいの? オレ別に買うわけじゃないよ」
左手が離れた。からくり箱の奥に置かれた調度品に、小さな紅い宝石が飾られているのが見えた。
それは鬼眼の狂の、あの深紅の眼を思い出させた。
「…見てただけだよ。侍がそんなもん持って歩いてたら変だろ!」
そう聞くと漢は、変かなあ、と首を傾げた。
「別に変とか思わないけど、オレ旅の途中だし、ちょっと邪魔かな」
「あ、そうなんだ。オレも旅の途中」
小箱の隣の棚の風車を眺めながら、アキラは言った。
へえ、と漢はさして気に留めた様子もなく訊ねた。
「どこ行くの?」
無感動な物言いの中にかすかな緊張が、不協和音のように重なったのは気のせいだろうか。
「…とりあえずは江戸だけど」
「ふぅん。オレも江戸」
漢の眼が、初めて真っ直ぐにこちらを見た。
だが裏腹にその台詞はどこか、言い繕ったような印象を与えた。