代償行為
はらはらと、舞い落ちる花弁を飽かず眺めていた。
白、薄紅、時に濃紅。
爪先に落ちかかったそれを、足を僅かに傾けて払うと、下駄が樹の根にぶつかって、からりと鳴った。
紅蓮浄土、と呼ばれる場所に程近い、この辺りには季節を問わず花々が溢れているが、今時分にはいっぱしに春らしく、桜だけが白く、あかく、狂ったように咲いている。
「歳世」
聞き慣れた声が、背後からかかる。歳世は振り向かなかった。
歳世。歳世。
―――巴。
「こんな所にいたのか。探したぞ、黙っていなくなったりするから」
歳子が騒いでいる、とその人は言った。
海の色を思わせる深い青の着物に、長い銀髪が映えている。
「…辰伶」
もしも。
今、腕を伸ばして、 その髪に触れたなら、このひとはどんな顔をするだろう。
少しくすぐったいような表情で笑う。
面影が脳裏にちらつきそうになって、歳世はかぶりを振った。
ちがう、ちがう、それは別の人だ。
「歳世?」
巴、と。かすかな声音が、彼の言葉に重なる。
くるったように桜が咲く、 この季節になると、なくした過去が亡霊みたいに顔を出す。
「…済まない。少し、ひとりになりたかっただけだ」
花吹雪の向こう側から。
おまえも疾うに朽ちた身だと、ささやいてゆく。
辰伶は戸惑ったような、申し訳ないような目でこちらを見ていた。
突き放した言い方に聞こえたのかもしれない。
(…辰伶)
私を、生きた人間として扱ってくれたひと。
いっそ感情も意志もない傀儡であれば、と、
願いながら生かされていた、 私のこころに居場所を与えてくれたひと。
―――愛しい、と。
そう想う、気持ちが過去の残骸のように思えてくるから、 この季節は嫌いだった。
それはかつて、ちがう誰かを追っていた頃の気持ちにひどく似ていて、時折どうしようもなく不安になる。
顔も、声も。姿形も、
なにひとつ覚えてはいないのに、 気配だけがこの身に残っている。
ああ、どうか。
朽ち果てた身でも、心だけしかここに無くても、 ねがうことが許されるなら。
―――どうかこの想いが、真実でありますように。
彼が、なにかの。
誰かの代わりでなどないように―――。
「…歳世? どうした?」
焦ったような声の響きに、はっとして顔を上げると、その拍子に 瞼から水滴が散った。
それで初めて自分が泣いていたことに気づいた。
「あ…」
慌てて指先で涙を拭い、なんでもない、と言った。
言ったそばから、また雫が頬を伝った。
「…歳世…」
辰伶は右手を伸ばし、ぎこちなく彼女の背を撫でた。
ほかにどうして良いか判らぬ子供のようだった。
それが少し可笑しくて、歳世はかすかに笑った。
「すまない。…本当に、何でもないんだ」
すぐに忘れてしまうから。
そう、ひとりごちる。
この花が散ってゆけば、
昔日の幻影も、消えてしまうから。
絶望をささやくものたちは、白い闇の向こうに去っていってしまうから。
瞬いた睫の先から、光が弾けるように、
散ってゆくから、ただ。
―――はらはらと、
さらに切ない50のお題 No.32「代償行為」
「SAMURAI DEEPER KYO」~歳世