Sing-Song

かたり、と音を立てて開かれた鎧戸から、透明な朝のひかりが射した。

私は重い瞼を上げた。
陽光は一瞬、窓辺に立つララの上に強烈な陰影をつくり、やがて潮風とともに柔らかく部屋を満たした。彼女は長い髪を揺らしてこちらを振り返った。

「おはよう、グゾル」

胸が、鉛でも載せられたように苦しい。
上手く息ができない。全身が気怠い。
しかし私は微笑んだ。
「おはよう、ララ」

彼女は嬉しげにわらった。私はほっとした。
ララは人形だ。けれど近頃、時折泣いているように見えることがある。
訊ねれば、そんなことはないと言う。だって、

――私は、人形だよ。

繰り返し、繰り返し。
自身に言い聞かせるように言う、哀しげな瞳をしながら。

 

ララは風で乱れた髪を押さえた。私は思い通りに動かない身体を、どうにかベッドの上に起こした。そして、枕元の古びた鏡台から、鼈甲 [べっこう] の櫛を取った。
鏡は割れていた。ずいぶん昔に、割ってしまった。

「ララ。こっちへおいで」
「はい」
彼女は強すぎる風に眉を顰 [ひそ] めながら、窓を半分ほど閉めた。それからこちらへ小走りにやってきて、寝台の端にちょこんと腰をかけた。

私は手にした櫛で、彼女の髪を丁寧に梳 [す] いてやった。
いつもと変わらぬ朝の情景。

出会ってしばらく経った頃、はじめてララの髪を整えてやって以来、ずっとこうしてきた。ララは髪など構わないと言ったが、その時私は、私のために歌ってくれる彼女に、どうにかして礼をしたかったのだ。

 

 

「わあ、とっても綺麗だね、ララ」

思わずはしゃいだ声を上げた私を、彼女はじっと見つめた。その瞳がまるで、母のような慈愛に満ちていたので、私は少し不安になった。
母親の記憶はあまり無い。
おぼえているのは、

彼女が美しかったことと。
彼女が私を捨てたこと。

母はとても美しいひとだったから、多分、私のような醜い子供がいることに耐えられなかったのだと思う。ララは、今の自分の姿と、私を比べてどう思うだろう、
もしかしたら母のように、

「ありがとう、グゾル」
沈んでゆく思考は、やさしい声で破られた。ララは、そっと私のからだを抱いた。
埃の積もった鏡台に、彼女のちいさな背中。
その向こうに映り込む私の醜い顔には、いつのまにか泣きそうな表情が浮かんでいた。

ララは私の背を撫でながら、うたうように囁いた。
「ねえ、グゾル、これからはずっとこうして」

こうして私の髪を梳いて。私はあなたのためだけに唄うから。
あなたは私のために、ずっと、ずっと。

――彼女が人形であることを、私は一度も嘆いたことがない。
もしも人間の女だったなら、きっとこの時、醜い私を棄てたであろうから。

「うん」
私は頷いた。何度も、何度も頷いた。
涙が頬を伝い落ちた。
私の、私だけの、たいせつな人形。

「うん、ずっと一緒にいよう、ララ」

 

 

もうじき私は死ぬだろう。
その時には、彼女を壊して、ともに連れてゆこう。

置いていきたくない。この世でたったひとつ、私に与えられたもの。
彼女は永遠に私のもので、

――私は永遠に彼女のものだ。

 

右手がふるえて、櫛が乾いた音を響かせて床に落ちた。
ララはそれを拾い、私を見上げて、かすかに目を見開いた。

「どうしたの? グゾル」
なんでもないよ、と応えるので、私は精一杯だった。

(ああ、私は)
何と、何と身勝手な、醜い――

ララはゆっくりと、私の爛れた頬を撫でた。
それから問うた。

「グゾル、今日は何の歌がいい? 楽しい歌? 子守歌?」
あなたが寂しくなくなる歌をうたうから、と彼女は言った。

 

神に見放されたこの地に、光が降る。
梳いたばかりのララの髪が、そのひかりを撥ね返して輝いている。
私は最初に会った時、彼女がうたった歌を、ふと思い出していた。

「――そうだな。今日は…」

 

どうか、この醜い老人に。
幻のようにやさしい、愛のうたを唄っておくれ。

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